「なぜ新任教師は命を絶ったのか」残業や叱責が原因? 〝学校現場の問題〟は社会の鏡である【西岡正樹】
■学校現場の劣化したコミュニケーションを立て直せるか
春日市の「新任小学校教諭」へ向けた「先輩教師ら」の指導や叱責は、自分たちの価値観を「新任小学校教諭」に押し付けたということにすぎません。「先輩教師ら」の思いの中に「新任小学校教諭」を「困らせてやろう」「自死に追い込もう」など微塵もなかったはずです(そう信じています)が、「新任小学校教諭」の気持ちをくみ取ろうという思いもなかった。やはり、言葉が一方通行では、言葉がどのように伝わっているか分からないのです。
「先輩教師ら」の思いはどのようなものであったかはさて置き、学校という場でのコミュニケーションが一方通行では、教師にとっても、子どもにとっても、学びの場とは言えません。私はそう思っています。お互いの思いや考えを交流することによってお互いの思いや考えはしっかりと伝わり、お互いの行き違いを修正することができるのです。「新任小学校教諭」が話せるような場を「先輩教諭ら」はより創るべきでしたし、「新任小学校教諭」は自分の思い考えを伝える意識をより大きく持つべきでした。そうすれば、状況は変わっていたのかもしれません。
異なる思いや考えを持った多くの人たちが、共に生きていくのは簡単なことではないと思います。さらに、お互いが分かり合えるようになるには大きな困難を伴います。しかし、学校というのは、分かり合えなくても一緒にやっていかなくてはならない所なのです。それは教師同士であっても、子ども同士であっても、教師と子どもの関係であっても同じです。